ポテサラじじい & レジキレ老人

ここ数日、ニュースを賑わしたポテサラ論争。
「ポテサラくらい自分で作れ!」と高齢者の男性に怒鳴られたことが発端ですが、賛否両論あると思います。

SNSでは、このようにちょっとした日常の声が広がることがあります。
「保育園落ちた日本死ね」の待機児童問題。
あべのマスク配布時には「サザエさんちのマスク事情」が拡散されました。


ポテサラじじいの心の裏側は?

ポテサラを作った方なら下ごしらえが大変と分かるはずです。
特に主婦層からは、言われたママさんへの同情意見が圧倒的に多いですよね。

「自分でポテサラ作ったことあるのか」
「だったら、自分で作ってみたらいい」などなど

しかし、ポテサラじじいの内面に視点を向けると違ったものが見えてきます。

あくまでも仮設に過ぎないのですが、いくつか考えてみようと思います。


昭和育ちのポテサラの母

ポテサラじじいは、ポテトサラダだからこだわったのでしょうか?

ポテトサラダといえばコロッケと並ぶ昭和のお惣菜の代表選手。
戦後、お芋を使った料理はごちそうでした。
物資がなく、お芋の茎まで食べたというから芋自体を使った料理は心踊るおかずだったのかも知れません。

もし、最高のごちそうであったなら この料理に人一倍の感情を持っていたのかもしれません。

「ポテサラくらい自分で作れ!」は
「ポテサラぐらい子供のために母であるあなたが作ったらどうですか!」
の略なのかも?

なんか、ミルキーはママの味みたいにポテサラは母の味説が浮上しませんか?
ポテサラじじいにとってのポテサラは、母の愛だったのかもしれません。
すごく遠くのお母さんの思い出のおかずだったとしたら・・・あなたはどう思いますか?


今どきのママさん否定説

ポテサラは母親の愛説とは正反対の設をしてみましょう。

これもちょっと昭和との対比になりますが、
平成から令和となり食卓も簡単・便利・時短が当たり前になってきました。
しかし、ポテサラじじいの心情は昭和から抜け出せないでいます。

「なんでもかんでもスーパーのお惣菜ばかり食卓にならべるんじゃないよ。
ポテサラくらい自分で作れ!ラクしてんじゃねぃぞ。」説。

昭和の心得は、手間や時間をかけることを良しとする考えです。

確かに職人さんは苦労しながら技を盗んで何年もかけて一人前になります。
昭和世代のサラリーマンだって同じ。
「若いもんが簡単に出世できると思うなよ」
の表れも時間や苦労をかけることへの美徳です。

ポテサラじじいも
「昔の母親は、なんでも手作りしたんだぞ!」
と言いたい感情から発した言葉だったらどうでしょう?

時代の移り変わりがあまりにも早いがため、昔を懐かしむことすら許されない昭和世代の悲しい性と考えるのは行き過ぎですかね?

このようにポテサラじじいの心の内を勝手に想像してみました。
意外と奥が深い問題なのかもしれませんよ。

食卓に見る心理

食卓にはたくさんの物語があります。
食育なんて言葉もあるくらい大切なことなんだと思います。
” 誰とどこで何を食べたか? “
は、その人の人格形成に影響を与えると思うんです。

大家族で食卓のおかずを取り合って食べたとしましょう。
一品や二品のおかずを我先に奪い合うようにして食べた経験は、その後の生き方自体も変えてしまうかもしれません。。
また、幼少期に一人ぼっちで菓子パンを頬張ったり冷めたおかずを無言で食べた経験は、大人になっても心に刻まれることでしょう。。

そう思うとポテサラ論争は、ただの面白おかしい論争ではなく人間模様なのかもしれないのです。

レジでキレる老人

レジ袋の有料化に伴い、レジキレ老人が増えそうです。
お店側は、レジ袋一枚に怒鳴るお客に大困りだとネットニュースにありました。

マスクやアルコール不足で散々怒鳴られるカスハラ(カスタマーハラスメント)現象は、記憶に新しいところです。
ドラッグストアやホームセンターでは、
「マスクが買えないのは隠しているからだ」
「なんで、いつ来てもないんだ」
と毎日のようにお客様に言われ、仕事に行くのが嫌になった店員さんもいます。
お客様だから文句を言われても大半の店は謝るしかないのだそうです。

このような文句をいうのは高齢の方が多く、
「袋はほしいがお金は払いたくない」
「食べた弁当を捨てるときはどうするんだ」
「温めた弁当も袋代を取るのか」
と不理屈極まりないそうです。

子供が幼稚園の頃、クラスの催し物の帰りに中華屋さんに立ち寄ったことがありました。

夕方の混んでる日曜日に4家族15名位で予約なしに行ったものだから当然待たされました。
30分ほど待ったところで友人のパパさんがいきなり怒鳴り始めたんです。
待たされたのが気に食わないと入り口で
「いつまで待たせるんだよ」
と大声を上げたのにはビックリしました。
彼の家族以外3家族は、何が起きたんだとばかりに目を白黒させながら下を向いてしまいました。

しかし、怒鳴った本人もその家族も平気な顔をしているんです。
他の友人家族もドキドキしているようで誰も止めることはでません。
当の本人は「言ってやったぜ!」のような様子だったのにも驚きました。

 急に大声で怒鳴る
 物を投げつける
 言葉が荒らしい
 急に所構わず泣く

精神科医の医師によると、このような症状は日頃の不満や怒りが溜まっている状態だといいます。(脱抑制症状)
長いこと自分に我慢を強いてきたことの現れがそうさせるとのことでした。

昭和初期や中期世代を過ごしてきた方は、社会の制約や家の制約など多くの制約を余儀なくされてきただろうと思います。
自由恋愛も許されず、将来も周りが決めてしまう時代でした。
そんな時代を生きてきて「今さら我慢などしたくない」思う節もあるのでしょう。
「今どきの若いもんは・・・」と思いながら羨ましく妬ましく思う部分も少なからずあるのではないかと思います。

心のやり場を見失った人たちは、キレるという行動にでてしまいやすいか無気力になるかです。
昭和を生きた方達は自分の思いを抑えるという生き方しかないのかもしれまん。
そして、抑えきれない感情が爆発するときキレるのです。
時代は、人を作るんだと思います。

今後、無人化のコンビニも増えてくるでしょうから キレる人たちはどこに気持をぶつけるのでしょうか?

人間、いくつになっても後悔はあるものです。
また、時を戻したい願望もあるでしょう。
今からでも 心は自由でいつでも解放していいことを知ってほしいなと思います。

スーパーのお惣菜コーナーで言われてしまった親子は気の毒でしたが、ポテサラじじいはこのお母さんに言いたいわけではなかったのだと思います。

抑え込まれた感情をどこかで吐き出さないと自分が苦しくなります。
この苦しさは、社会に対してのささやかな反発なのかもしれません。
この論争にコメントする人々全てが、抑圧されている感情を持っていることに気づいていないのです。
無意識に自分に置き換えて気持ちを吐き出す手段としているのかもしれません。

では、今日はここまで

関連記事

PAGE TOP